
おわりに
東京府北多摩郡国分寺村大字新田野中六左衛門組小字谷野本北側○○○○番地○○○○様。 一時期こんな宛名が使われた時代があったのでしょう。
本シリーズは、国分寺の中で「大字小字」が使われていた時代にスポットをあててみました。新田の時代からの地名がそのまま「大字」として使われ、小字名は、歴史、地形、方位、地権者の思惑など色々工夫をして付けられたのでしょう。なお、大字小字が使われたのは、明治22年(1889)市制・町村制により国分寺村が誕生してから、昭和15年(1940)町制施行で国分寺町になり新町名ができるまでの約50年間位です。
今ではその時代をご存知の方も少なくなりました。そのため、旧国分寺村や恋ケ窪の小字名など歴史や地形が色濃く出ているものはともかく、野中・榎戸新田の小字名など聞き取りでも、根拠が解明できなかったものも少なくありませんでした。
旧国分寺村の長谷戸は「はせど」ではなく「ながやと」、野中新田谷野本は「たにの」ではなく「やのもと」だったり、国分寺を象徴する「はけ」も多くつかわれ、字も「はけ」「ハケ」「崖」「峡」などがあてられていたり、ますます興味が深まった感じです。
参考にさせていただいた書籍、資料は、国分寺市史中下、国分寺の民族、府中市史、内藤新田の歴史(内藤豊三郎氏)、平兵衛新田むかし・現在、小平市史、立川市史、その他です。
聞き取りでは多くの方にご協力いただきました。厚くお礼申しあげます。