
榎戸新田
この新田は、大丹波村角左衛門により、享保10年(1725)に南野中新田から分村したと言われていますが、正式に榎戸の名前が出てくるのはその5年後です。下図にあるように野中新田六左衛門組と、榎戸新田は互い違いに入り組み、たぶん所有者ごとに新田が分けられていたようです。野中新田には谷野(ヤノ)○○という小字名がありますが、どこから付けられたのかは不明です。あとは「下・上」「東西南北」の位置を示す小字名がほとんどです。たぶん村になってから(明治22年)付けられた小字名ではないでしょうか。

さらに榎戸新田は左図に示したように西町地区にも飛び地として広がり、弁天と呼ばれていました。ここはもともと野中新田の区域ではなく、砂川村(現立川市)と入り組んでいました。ちなみに、弁天八幡は地域内にありますが、榎戸弁財天は砂川村にあります。
榎戸新田のお寺は小川村(現小平市)から引き寺した妙法寺で、神社は愛宕神社です。
今この地域は、第1種低層住宅が立ち並び、住宅街になっていますが、南北道路がないため狭い道が通り抜け道路となっています。特に今の北町地区は上記のような土地の形状や、最寄りの駅が遠いため開発は他と比べ遅れていますが、逆に畑が多く残され、のんびりとした土地柄となっています。