砂川用水物語

水路の変遷1
~江戸初期の国分寺の湧水の状況~

国分寺の用水

江戸初期の国分寺村に関する史料はないようです。この地図にある水色の線は、国分寺崖線から流れ出ている湧水の流れです。

崖線の下にある姿見の池は、古くからある湧水による池でした。エックス山からも湧水が湧き出していました。日立中央研究所の大池のあたりは、大正7年に今村銀行頭取今村繁三氏の別荘になるまでは、湧水が作り出した沼地であったようで、今でも大池には随所から湧き出た清水が注いでいます。

また、現在の国分寺の裏手や国分寺歴史資料館のある崖線からも清水が湧き出ており、真姿の池湧水群と呼ばれるお鷹の道沿いの湧水もあり、これら湧水は野川となって多摩川まで約20㎞を流れ下っています。

新田開発以前にはこの流れ一帯には豊富な湧水を使った田んぼが作られていたようです。

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