野火止用水の第2回です。第11回は、八坂駅から清瀬駅まで歩きました。 今回のルートです。
野火止用水(2)
八坂駅を出ると、東村山浄水場と境浄水場をほぼ一直線に結ぶサイクリングロードです。
サイクリングロードが野火止用水を横切るところから、野火止用水を下流に歩きます。
しばらく歩くと暗渠になりますが、遊歩道になっていて、周りに様々な木が植えられています。
遊歩道で見つけた花を紹介しましょう。
トウネズミモチ(唐鼠黐)の花が咲いていました。葉は、楕円形で厚く光沢があり、葉脈が透けて見えるのがネズミモチとの違いだそうです。「トウ」は、「唐」で、明治の初めに中国から入ってきました。
コムラサキの花が咲いていました。
八重咲きのザクロの花が咲いていました。花ざくろ”とも呼ばれ、ネットの情報では、花弁は雄しべが変化したものなので花粉を作らず、実が成らないとのことです。
エゴノキの若い実が木の枝にたくさんぶら下がっていました。
ハマユウの花が咲いていました。
ネジバナが咲いていました。きれいな可愛い花ですが、残念ながらピンボケでした。
新青梅街道を横切ると、再び流れが顔を出します。
流れのあちらこちらにノカンゾウが咲いていました。
恩多稲荷児童遊園に着きました。
「大岱稲荷(おんたいなり)プロジェクト」という市民ボランティアが中心になって整備されているそうで、きれいに保たれていました。隣接する大岱稲荷神社や少し先の恩多野火止水車苑も整備しているそうです。
野火止用水から恩多稲荷児童遊園へ流れを渡った橋の傍に石の祠があります。大岱稲荷神社と関連があるのでしょうか。
■大岱(おんた)稲荷神社
大岱稲荷神社は恩多稲荷児童遊園に隣接しています。恩多稲荷児童遊園をぐるっと回るように参道があります。
大岱稲荷神社は、寛延年間(1748-1751)に名主当麻氏が京都伏見稲荷を勧請して創祀したと伝えられています。寛延4年(1751)に京都の伏見稲荷から、正一位稲荷神社の勧進証書を受けています。由緒書きをご覧ください。
参道の傍らに「社吹(しゃぶき)堂」があります。
由緒書きがありましたので、こちらをお読みください。
境内の下流側に野火止用水を渡る石の橋があります。「がっかうばし」とあります。
明治6年に、境内の一角に大岱学校(現在の大岱小学校の前身)が開かれました。
■恩多野火止水車苑【100選】
この地には、天明2年(1782)から昭和26年(1951)まで、直径7.5m、幅0.9mの大きな水車が設置されていました。旧大岱(おんた)村の當麻(とうま)本家が酒造米の精米を目的に川越藩の許可を得て設置したといわれます。
当時の水車は、上流の堰から水を引いた回し堀で導水して回す方式でした。
恩多野火止水車苑の水車は、それを完全に復元したものではありませんが、公園的要素を盛り込んだ憩いの場として設置されました。
説明板がありました。ご覧ください。
参考資料:
【野火止の水車苑(東京都教育委員会)】
【恩多野火止水車苑の水車が復活しました(東村山市ホームページ)】】
■赤レンガ橋(中橋)
恩多野火止水車苑の少し下流の野火止用水に赤レンガの丸いアーチの橋が架かっています。 橋の親柱に中橋と書かれていました。明治42年9月竣工と読めます。
■万年橋のケヤキ【100選】
その少し下流に、根が野火止用水を跨ぐように張っているケヤキの大木があります。
「万年橋のケヤキ」呼ばれています。
樹齢は500~600年と推定され、高さ30m、幹回り6.3mあります。東村山市の天然記念物に指定されています。
野火止用水掘削時に、木の根の下をくぐって掘ったのか、用水ができてから木の根が伸びたのか、定かではありませんが、橋のなかった時代に、人々がこの木の根の上を渡っていたことは確かだそうです。
万年橋のケヤキの下に小さな祠があり、中に2基の馬頭観音が安置されています。
右の坐像には、寛政6年(1794))と彫られているのが読めます。
近所に住む金子家の祖先が愛馬供養のために建立したと伝えられています。
参考資料:
【万年橋のケヤキ(東京の樹)】
この後少しの間、流れに沿って歩けます。
■樹林地の雑木林【100選】
野火止用水沿いには、所々に歴史環境保全地域として雑木林の緑地が残っています。
下里6丁目地区にある緑地の中の雑木林を歩きました。
■下里富士(三角山)
新小金井街道が合流する場所の少し手前に「三角山」というバス停があります。何かなと、調べてみると、下里富士という富士塚がありました。地元では、通称「三角山」と呼ばれているそうです。
文化3年(1806)から明治12年(1879)の間に築造されたと推定されています。頂上には、富士浅間神社が祀られています。
参考資料:
【下里富士(三角山)(古墳なう)】
道路の歩道を歩く単調な道なので、暑さもあって、「三角山」バス停からバスで清瀬駅に出ました。
下は、別の機会に歩いた時の写真です。 小金井街道を横切った下流の水道道路に沿った流れです。