第9回は、小川用水を西武多摩湖線の青梅街道駅から小平あじさい公園まで、おもに青梅街道の南側の水路に沿って歩き、さらに西武新宿線の北側まで足を伸ばしました。 今回のルートです。
小川用水(2)
小川用水開削の経緯については、小川用水上流部分のレポートをご覧ください。
青梅街道駅の改札口を出て、北側の水路に回りました。
水路が駅のホームの下を流れているのがよく見えます。
■馬継場跡
小川九郎兵衛が小川村開発を許可された時の条件の一つが、青梅街道の伝馬継ぎ(てんまつぎ)を勤めることでした。(小川用水上流部分のレポート参照)
その馬継場が、現在の府中街道付近から平安院付近までありました。その区間の青梅街道の道幅が広くなっているのは、その名残りだそうです。
馬継場が開設された事によって小川村は大きく発展しました。正徳3年(1713)には荷馬158頭が飼育されていたという記録があります。
写真は、青梅街道駅の改札口を出た、青梅街道の踏切のところから西側を撮ったものです。
道路の道幅が広くなっていることが分かります。
参考資料:
【小川用水2(川のプロムナード)】
【小川村の馬(小平市立図書館/こだいらデジタルアーカイブ)】
青梅街道の南側を歩きます。
■馬頭観音
少し歩くと、平安院の手前の青梅街道の道路端に古い石塔があります。掘られた文字が風化して不鮮明ですが、馬頭観音と読めます。建立の年月は不明です。
ここは、嘗て馬継場の東の端だったところなので、それと何か関係があるのでしょうか。
■平安院
享保9年(1724)5月、幕府の許可を得て小川新田の開発が始まりました。当時の新田の名主小川弥市は、小川寺の住職と図り、江戸市ヶ谷河田町の月桂寺の境内にあった平安院を移し、元文4年(1739)に菩提寺として建立しました。
山門の脇に説明板がありました。
参考資料:
【平安院について(平安院ホームページ)】
【遠渓山平安院(猫の足あと)】
■庚申塔
平安院の門前、青梅街道の道路端に庚申塔の石塔があります。
上述の説明板に拓本が表示されていて、「願主 小川弥市」「小川新田村」とあります。
「享保2年(1717)」造立とありますが、新田開発前なので、小川村時代のものと思われます。
■ハッピーとんぼ池 / 旧小平村役場門柱
さらに青梅街道に沿って歩いて、小平一中に向かう路地を南に入ると、小川用水を利用した親水施設「ハッピーとんぼ池」があります。大きくはありませんが、きれいに整備されていて、ちょっとした憩いの場になっています。
ハッピーとんぼ池の入口の両側に古い門柱が立っています。
説明板によると、旧小平村村役場の門柱だそうで、昭和17年(1942)に設置されたと思われます。平成28年に、ここに移設されました。
■あかしあの水路
小平駅から南にまっすぐ伸びたあかしあ通りの両側の小川用水は、「あかしあの水路」という名前が付けられています。
■熊野宮と一本榎
あかしあ通りを過ぎてしばらく行った青梅街道の南側に大きな鳥居があります。熊野宮の参道の入口です。
参道を南に少し歩くと、小川用水が横切ります。参道から水路が良く見えます。よく整備されていてきれいです。
参道の突き当たりが熊野宮です。入口に説明板がありました。
熊野宮は、縁起によると、殿ヶ谷村の阿豆佐味天神社の摂社として、岸村に産土神として奉斎されていた社が始まりで、小川村の開拓に着手した小川九郎兵衛と、阿豆佐味天神社の神主の宮崎主馬が、寛文年間に小川村名主の屋敷内に遷祀し、その後小川新田の開拓を行うのに先立って、その守護神として、宝永元年(1704)に榎の大樹のもとに祠を建立し遷座したものと伝えられています。
社殿正面には、一対のケヤキの大木がそびえています。「夫婦欅」と呼ばれ、夫婦円満の象徴だそうです。樹齢約300年で、小平市の天然記念物に指定されています。
元々、ここには、1本のエノキの巨木が聳え立っていました。
往時この一帯は、人家が1軒もない荒漠たる武蔵野の原野でした。水の便が非常に悪い場所で、「逃水の里(にげみずのさと)」と言われていました。
そのような原野の中にあって、この巨木は、「武蔵野の一本榎」と呼ばれ、街道を往来する人々の良き目印や一時の休息の場になっていたと伝えられています。
一本榎は、社殿の裏手にありますが、現在のものは、樹齢約100年の3代目の孫木だそうです。
この近くには、もう少し詳しい縁起の説明板がありました。
光線の影響で一部文字が読めませんが、同じ内容が下の参考資料にあります。
熊野宮の参道を青梅街道に戻ります。
青梅街道を少し行くと、小川用水の南側の水路は流れを北側に向きを変えます。
■南北水路合流点
青梅街道を横切った水路は、北側の水路と合流します。
ここから先は、暗渠になって、水路は見えませんが、さらに青梅街道に沿って、回田道まで行き、回田道に沿って北に向きを変えます。
■あじさいの小径 / 小川用水の築樋【100選】
回田道は、嘗て、天神窪と呼ばれた窪地の縁を通っています。小川用水は、回田道に沿って流れています。窪地を通る部分は、築樋(つきどい)と呼ばれる盛土をして流していました。回田道の拡幅工事の時に、水路は地下に埋められました。
西武線の踏切の手前に、あじさいの小径の看板があります。ここで、小川用水は再び地上に現れます。地下を流れて来た水は、サイフォンの原理により、湧き出すように地上に流れ出ます。
水路は、あじさいの小径と呼ばれる遊歩道に沿って西に流れて行きます。
あじさいの小径は、天神窪の南側の縁に位置していて、ここも築樋としてつくられた部分です。
あじさいの小径の中間部分に、北に斜めに行く、水路跡のような小径があります。
悪水堀と呼ばれた、天神窪に溜まった水を排水する水路の跡だと思われます。
参考資料:
【窪地が生んだ小平の名所(小平市報(No1485)(P3))】
■小平あじさい公園
あじさいの小径と狭山・境緑道に囲まれた低くなっている部分は、天神窪の西端で、小平あじさい公園となっています。小川用水は、公園の南側と西側を回って、北に流れて行きます。
小川用水は、狭山・境緑道を横切り、西武線の下をくぐって北に流れて行きます。
西武線の北側に向かいました。
西武線の踏切を渡って、回田道を北に行き、東京街道を西に折れます。
少し行ったところで、小川用水の流れに出会います。
小川用水は、東京街道に沿って西に向かい、小平駅の北側のあたりで北に折れ、再び東に戻ってきます。
■百日紅の小径
我々は、その通りには歩かず、途中で北に行ったところで、戻ってきた水路に出会いました。小川用水は、北に折れて流れて行きます。
このあたりの小川用水は、開渠になっていて、サルスベリが水路に沿って植えられていて、「百日紅の小径」と名付けられています。
水路はさらに北に流れて行きますが、我々は、北には行かず、南に戻りました。
■清風親水エリア
西武線を北にくぐった少しのところは、「清風親水エリア」と名付けられています。
水路に沿って木製の階段がつくってあって、水路に近づけるようになっています。
今回は、ここから小平駅まで戻りました。
■花の小径
百日紅の小径から、小川用水はさらに北に向かい、小平霊園にぶつかったところで、斜め右に折れます。ここからまた、水路は開渠になり、「花の小径」と名付けられています。 別の機会にここまで歩いてみました。