第5回は、武蔵境駅から独歩の森を経由して、うど橋から井の頭公園まで、玉川上水に沿って歩きました。 今回のルートです。
独歩の森~井の頭公園
■独歩の森【100選】
独歩の森を含む全体の正式名称は境山野緑地と言います。
武蔵野の森を育てる会という市民団体が武蔵野市と協力して保全活動をおこなっています。
最近、この森でもカシノナガキクイムシによりコナラやクヌギが枯れる被害が発生して問題になっています。この日訪れた時にも、枯れ木が目立ちました。
幹にプラスティックフィルムを巻いたり、トラップをつけたりして、被害の拡大防止に努めています。
参考資料:
【武蔵野の森を育てる会(境山野緑地(独歩の森)の紹介)】
■うど橋と独活の碑
独歩の森から少し北に歩くと玉川上水のうど橋に出ます。
うど橋の傍らに石碑がありますが、刻んだ文字が薄くなっていて全く読めません。
後でネットで調べてみたら、独活の碑だということで、この地のうどの栽培の歴史とうど橋命名の由来が書かれているそうです。「うど」は武蔵野市の特産品だということです。
参考資料:
【東京ウドを日本一に(農林水産・食品産業技術振興協会)】
うど橋の次は「独歩橋」です。
■国木田独歩文学碑
少し下流に歩くと、境浄水場正門前の通りに出ます。
そこに架かる桜橋の傍らに『国木田独歩文学碑』があります。碑には国木田独歩の『武蔵野』の中で桜橋が記述されている一節が刻まれています。
参考資料:
【国木田独歩の碑(武蔵野市観光機構)】
【桜橋(玉川上水今昔)】
桜橋の広い道を渡った玉川上水の岸に大きなイイギリが赤い実を付けていました。
■品川用水取水口跡
桜橋から少し行ったところに品川用水取水口跡があります。ちょうど武蔵野市立第六中学校の前にあたります。
品川用水は、玉川上水の南側を現在の武蔵野市立第六中学校の敷地の中を抜けて三鷹駅の方に流れていました。
そこに立っている説明板には、「品川用水は、旱魃に悩まされていた品川領内九つの宿や村の農業用水として、寛文九年(1669年)に開通しました。」とありますが、文献によると、正確な時期は不明ですが、かなり早い時期に、「仙川用水」として、仙川組四ヶ村(現在の三鷹市と調布市の一部)の水田を潤す用水路として開削され、その後1663年から1664年にかけて、「戸越上水」が、品川領戸越にあった熊本藩細川家の下屋敷(現在の戸越公園)の庭内の泉池の用水として、仙川用水から分水するかたちで開削されました。
戸越上水は、わずか2年後の1666年に廃止されてしまいましたが、その後、上の説明板の記述にあるかたちで復活しました。その時、玉川上水からの分水地点から全体が、品川用水として扱われることになったとのことです。
この季節、護岸に草木が茂ってよく見えませんが、春先に歩いた時には、下の写真のような様子でした。
参考資料:
【品川用水(ウィキペディア)】
【謎解き仙川用水その1(東京の水 2009 fragments)】
松実橋から下流を見た玉川上水です。ここでは、流れが良く見えます。
少し下流のいちょう橋の手前に「大橋」が架かっています。
その歴史について説明板がありました。
古くは、北の田無方面と南の調布方面を結ぶ主要な道だったそうです。
■ぎんなん橋と中島飛行機引込線橋台跡
境浄水場の東の端の都道に架かる大きな「いちょう橋」の脇に歩行者と自転車専用の「ぎんなん橋」が架かっています。
ぎんなん橋の場所には、かつて、中央線から中島飛行機株式会社の武蔵野工場(現在の武蔵野中央公園)まで引き込み線が通っていて、橋台跡の上にぎんなん橋が架けられました。
この季節、護岸に木が茂っていて、橋台跡を見ることはできませんでした。
ここに設置してある説明板で遺構を知ることができるだけです。
左は春先に撮った写真です。橋台跡が少し見えます。
参考資料:
【武蔵野市に残る中島飛行機引込線橋台跡「ぎんなん橋」】
西久保公園で休憩です。
■石造庚申供養塔
三鷹通りの大きな交差点のけやき橋の傍らにひっそりと庚申供養塔が祠に納まっています。 説明板によると、1729年(享保14年)のものだそうです。
庚申供養塔の左側面に「観世音」と刻まれた石塔があります。 「月山」「湯殿山」「羽黒山」と刻まれた文字が読めます。
けやき橋から三鷹駅南側までの間、玉川上水は暗渠になります。
けやき橋から三鷹駅まで、玉川上水の上に人工のせせらぎがつくられています。
歩いた時は、残念ながら、水は流れていませんでした。水がないと寂しい感じです。
三鷹駅の南北通路を抜けて、南側に出ました。
■旧三鷹橋の親柱、高欄
三鷹駅の南口を出たすぐのところに、三鷹橋が架かっています。これは、2005年(平成17年)3月に架け替えられたものですが、旧三鷹橋の親柱 、高欄 のデザインが活かされています。
因みに、旧三鷹橋 は1957年 (昭和32年)6月に、構造材の一部に鉄道のレールを活用して架けられました。それまで、三鷹駅には北口しかありませんでした。
旧三鷹橋 の一部が保存されています。
その傍らに説明板あります。
参考資料:
【三鷹駅南口・三鷹橋(玉川上水今昔)】
■風の散歩道【100選】
■太宰治入水の地&玉鹿石
風の散歩道を歩いて、むらさき橋の少し手前に、太宰治の入水の地を示す表示板があります。小説「乞食学生」の一節が記されています。また、その少し先に、玉鹿石があります。 玉鹿石は、太宰治の出身地である青森県北津軽郡金木町から産する石で、青森県の天然記念物に指定されています。
参考資料:
【太宰治を巡って(東京紅團)】
【玉鹿石(ものと素材、こころと身体)】
■犬むすびの松
むらさき橋を北側に渡って、少し戻ったところに、「犬むすびの松」があります。
このあたりには、田畑の作物を荒らす動物を退治してくれるオオカミを「山犬様」と呼び、神様としてお祀りした言い伝えがあったそうです。説明板が立っています。
参考資料:
【犬松の宮(いぬまつのみや)跡(来福@参道)】
むらさき橋を渡って戻ります。 むらさき橋の名前の由来の掲示がありました。
井の頭公園に着きました。 吉祥寺通りに架かる橋は、萬助橋です。名前の由来の掲示がありました。
玉川上水を渡って、井の頭公園の中を玉川上水に沿って歩きます。
■松本訓導殉難の碑【100選】
玉川上水に近いところに「松本訓導殉難の碑」があります。 1919年、東京永田町の小学校の児童が秋の遠足に来た時、一人の児童が玉川上水に落ちたのを救おうとして殉難した松本訓導の行為を顕彰するために建てられたものです。
井の頭池まで歩いて、ちょうどよいあずまやがあったので、ここで、昼食にしました。
■井の頭池(神田川の始まり)【100選】
井の頭公園に入って、池をぐるっと回って、最下流の神田川の始まりのところまで来ました。
ここで一応ゴールですが、その後、ぶらぶら吉祥寺駅まで歩きました。
池の畔に大きな木が紅葉しています。 メタセコイアに見えますが、実の形から、ラクウショウ(落羽松)かもしれません。