玉川上水&分水網遺構100選ウォーク
2023.11.27

野火止用水(3)

野火止用水の第3回です。第12回は、武蔵野線新座駅から野火止用水を遡り、伊豆殿橋を回って平林寺まで行き、平林寺境内をぐるっと散策してから、平林寺堀から野火止用水を遡って、平林寺堀分岐まで歩きました。。 今回のルートです。

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新座市は、柳瀬川・黒目川の開けた沖積低地と、それにはさまれた野火止台地からなり、古くから居住の場のみならず、宿場や交通の要所として栄え、時代の流れとともに大きな発展をしてきました。旧石器時代から古墳時代にいたるまで両河川流域を中心に100ヶ所余りの遺跡があります。
天平時代には、先進文化をもつ新羅人の政治的移住が行なわれました。天平時代には、新羅郡と呼ばれ、その後、新倉郡、さらに新座郡(にいくらぐん、享和3年(1803)からは、にいざぐん)と名称を変え、新座市の名前の由来となっています。

参考資料
 【新座の歴史(新座ホームページ)

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新座駅から野火止用水に向かってせせらぎのある小道を歩きます。「ふるさと小道」と呼ばれているようです。人工の流れですが、野火止用水から水を引いています。


途中の新座駅南口公園には、自然のせせらぎのような場所があります。

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この流れを遡って行くと、ふるさと新座館の裏手を流れ、「野火止用水公園」にたどり着きます。公園の中を流れているせせらぎは、野火止用水の流路の上に作られた人工の流れのようです。公園の北側の外れで暗渠に流れ込みますが、この先、旧川越街道まで、水路は続いていて、そこで完全に暗渠になります。

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公園の南側を走る新川越街道の歩道橋を渡ります。 歩道橋の上から野火止用水の歴史的景観の流れが見えます。

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新川越街道のところで歴史的景観の野火止用水は暗渠に流れ込みます。流れが見える野火止用水は、実質的にはここで終わります。野火止用水は、ここから暗渠になって、志木市を抜け、柳瀬川が新河岸川と合流するあたりで新河岸川に流れ込みます。

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ここから野火止用水を遡って歩きます。
新座市は、野火止用水をとても大切にしていて、景観がよく整備されていて、気持ちよく歩けます。
所々に、野火止用水を説明した掲示版があります。夫々記述の内容が微妙に異なりますので、たし合わせて整理しました。野火止用水の歴史が分かりますのでご覧ください

参考資料
 【野火止用水をあるく(新座ホームページ)
 【野火止用水(荒川上流河川事務所)

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こもれび通りにぶつかると道路に沿った流れは終わり、畑の間を流れます。

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水路の傍にある柿の木は、葉が全て落ちて、赤い柿の実が用水に彩りを添えていました。

野火止ホタルの里【100選】

少し歩くと、用水の左岸に「野火止ホタルの里」というホタルの飼育施設があります。 この施設は、新座市が建設し、市民ボランティアにより運営されています。 毎年6月には、ホタル観賞会「ホタルの夕べ」が開催されています。

参考資料
 【野火止ホタルの里を作る会

平林寺境内林【100選】

ホタルの飼育施設の反対側、用水の東側には、平林寺の境内林が広がっています。 この雑木林は国の天然記念物に指定されています。殆どは、平林寺の境内ですが、野火止用水側の一部は開放されています。
詳しくは、この説明板をご覧ください
平林寺の境内にも説明板が設置されていました。こちらもご覧ください
雑木林で見られる野鳥の紹介もありました。春~夏~秋秋~冬~春

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さらに用水に沿って歩きます。所々にモミジの紅葉が見られました。

伊豆殿橋

野火止用水は、用水の開削をおこない、野火止の地の開発を進めた川越藩主・松平伊豆守信綱に感謝にて、「伊豆殿堀」とも呼ばれました。平林寺の境内の南西の角の野火止用水に伊豆殿橋があります。
何年か前に来た時には、もう少し石橋の面影があったような気がしますが、現在は、道路が拡張整備されて、ただ名前が残るだけになってしまいました。


橋の用水沿いの道を挟んだ西側に石橋供養塔があります。石橋供養塔と刻まれている四角い石の上に馬頭観音坐像があります。安永8年(1779)と刻まれています。


橋の東側のたもとには地蔵菩薩の石仏があります。享保3年(1718)と刻まれています。

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平林寺の南側の道路を東に総門に向かって歩きます。
途中に平林寺堀の流れが境内に入るところがあります。平林寺の境内は西から東に向かってなだらかに下る地形にありますが、流れは、やや西側を高いところから入ります。
道路は坂をなだらかにするために、掘りこんであるので、流れが入るところの境内は、道路より1mほど高くなっており、流れはサイフォンの原理で道路を横切り、境内に入って再び顔を出します。

平林寺【100選】

東側の平林寺総門に着きました。平林寺境内を1時間程、ゆっくり散策しました。

平林寺は、野火止の地の開発を進めた川越藩主・松平伊豆守信綱の一族の菩提寺であり、寛文3年(1663)、信綱の遺命によって岩槻から移転されました。

参考資料
 【平林寺の歴史(平林寺ホームページ)

総門の脇から、境内を流れた平林寺堀の流れが出て行きます。

総門を入って、正面に山門、その向こうに仏殿が見えます。


山門をくぐると、右手に高野槇の大木がそびえていました。壮観です。


仏殿の左手、南側を回って境内林に向かいます。
放生池にかかる紅葉がきれいなので、1枚撮りました。


南側の墓所のところに、「島原・天草の一揆供養塔」があります。この一揆を松平伊豆守信綱が収めたことを知らしめるために、後の家臣が、文久元年(1861)に建立したものです。
説明板がありました。

そのすぐ西側は、1段高くなっていて、平林寺堀に橋が架かっています。平林寺堀が境内の高いところから入って来ているのが分かります。


その先に大河内松平家の廟所がありますが、そのすぐ脇に安松金右衛門の墓があります。 安松金右衛門は、松平伊豆守信綱の家臣で、玉川上水・野火止用水の開削を実際に指揮した立役者です。


広い大河内松平家の廟所の中央に松平伊豆守信綱公の墓があります。
墓誌に詳しく書かれていたのでご覧ください


裏手の境内林に入りました。
奥の隅のほうに「業平塚」があります。野火止塚の一つで、在原業平とは直接関係ないようです。
説明板がありましたので、ご覧ください


こちらは、「野火止塚」です。野火の見張台だったということです。いつからあるものかは定かではありません。
説明板がありましたので、ご覧ください

境内のところどころに植えられているモミジの紅葉がきれいでした。

睡足軒の森

平林寺の総門を出て、「睡足軒の森」まで足を伸ばしました。
この場所は、江戸時代、高崎藩の「野火止陣屋」置かれていたところで、近代には、「日本の電力王」松永安左エ門(耳庵)が所有していました。
説明板がありましたので、ご覧ください

参考資料
 【睡足軒(新座ホームページ)

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総門の前の蕎麦屋で昼食になりました。

平林寺堀【100選】

後半は、平林寺堀が境内に入るところまで戻って、平林寺堀を遡ります。
平林寺堀は、平林寺が、寛文3年(1663)に岩槻から移転する際、用水を平林寺に引き入れるために野火止用水の分水として造られました。

築樋【100選】

平林寺境内との高低差の関係で、平林寺堀は、約800mにわたり、「築樋」と呼ばれる土手を築いて、その上に水路が開削されています。
この先、上流の、新座営業所バス停のところに説明板がありました。ご覧ください

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現在は、ところどころに、車を通すために、土手を切通して、サイフォン原理で水を流しています。

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関越自動車道を樋で渡っています。 樋に合わせて、道路の橋も高くなっています。

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関越自動車道を越えたところの産業道路との交差点です。 築樋の高さが分かります。

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ここで平林寺堀と別れ、野火止用水の本流に戻ります。

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新座市民総合体育館の脇から、野火止用水を遡ります。 このあたりは本多緑道と呼ばれています。

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しばらく歩いて、運動場が終わるあたりに「百笊稲荷大明神」と書かれた祠がありました。 ネットで調べてみましたが出てこないので、神社ではなさそうです。個人のお稲荷さんでしょうか。「百(ひゃく)」「笊(ざる)」ですが、読み方もよくわかりません。

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しばらく緑道を歩きます。

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西陣屋通りが曲がってきて、ここで緑道は終わりです。 しばらく道路の縁を歩きます。

平林寺堀分岐【100選】

少し歩くと、野火止用水と平林寺堀の分岐があります。 平林寺堀は、野火止用水史跡公園の中を抜けて、平林寺まで、約1.5kmの流れです。

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分岐の近くに説明板がありました。写真を見ると、用水を生活に利用している昔の風景が分かります。

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今回のウォークはここで終了。東久留米駅までバスに乗りました。

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