黒金山 祥應寺 再興300年

記 念 碑

本寺は鎌倉中期国分寺跡(国分寺市西元町・黒鐘公園)の北丘に起こる。開山由緒は不明であるが、阿弥陀信仰の盛んな寺院であった。ある時、古址より本尊と思われる阿弥陀さまの鉄仏が掘り出され、黒鉄(くろがね)のお姿であったことから村人はかの地を「黒金(黒鐘)」と称す。鉄仏は六所宮(大國魂神社)に遷座したのち、明治期の神仏分離により他の寺院に移された。

享保2年(1717)国分寺村の名主本多儀右衛門が古址本寺の再興を発願。黄檗宗の僧恢門道頂禅師を再興開山に懇請し、寺社奉行より許可を得る。享保11年(1726)本寺を本多新田の菩提寺とするべく、本寺初代太洲元晧禅師、ならびに新田開発者によって古址より現今の地に遷され、古址に肖り山号を「黒金山」と号す。時おなじくして万葉集で詠まれる「児の手柏」の古木が古址より移植され、1本は境内に現存し、枯死の1本は地蔵尊となり昭和7年(1932)に開眼した。

本寺の伽藍は、再興当初は小規模の観音堂であった。文政9年(1826)本寺重興紫雲達瑞禅師、ならびに村人の奉公により木造本殿が建立されたが、昭和16年(1941)に焼失。本殿を再建すべく本寺中興英信仁宗禅師、ならびに檀信徒の尽力により昭和27年(1952)に鉄筋造本殿が建立された。

平成27年(2015)本寺は再興より300年を迎えるにあたり、老朽化や耐震構造の問題をかかえた本殿を再建すべく、かの痛ましき東日本大震災の苦境を経て現住晴敬智俊禅師、ならびに檀信徒の敬虔なる菩提心と浄財を基に本殿再建、山門新築工事の大事業を成就した。同年5月吉日、黄檗宗管長猊下大導師のもと盛大に落成慶讃法要が厳修され、本寺は黄檗宗大本山より別格地の寺格を賜り今日の偉観をあらわした。

然れば、本寺開山、再興より関わる先人の労苦と遺徳を偲び、往古より伝わる阿弥陀信仰の板碑(古址より出土したうちの2基)を復原するとともに茲に謹んで記念碑を建立するものである。

南無阿彌陀佛

為當山有縁無縁三界萬霊追善供養

平成28年 秋彼岸 祥應寺